物語の終わり

就活失敗、内定0社、既卒無職、発達障害、メンヘラ

ブロン中毒

今更説明するようなものでもないと思うがブロンいいですよね

 

ODすると最初にエフェドリン(アッパー)が効いてきて何やっても楽しくなる、特にアニメなんか観るといいですね。あとタバコも美味く感じる、なんでも気管支が広がるのが原因だとか。まあそれの真偽はともかく美味く吸えるのは経験上間違い無いですね、ほんとにスパスパ吸えますよ。

んで、しばらくするとコデインが効いてきて今度は逆にダウナーになるんですね。個人的にはエフェドリンよりこっちのダウナー効果の方が好き。指一本動かす気力も無くなるんですが、その状態で横になってトランスとか聴くと多幸感が凄いですよ、さながら異世界にトリップするようで。

 

以上のようにODするだけで幸せになれる魔法の薬、しかも通販で簡単に買える。素晴らしい世の中ですね。

はい、勿論というか言うまでもなくそんな甘い話が何のリスクも無くまかり通る訳ないですよね。

実際ODに手を出し始めたばかりの頃は本当に魔法の薬と言っても差し支えないですよ、最初の最初だけですけどね。

この薬のタチの悪いところは何よりも中毒性の強さ、色んな意味で辞められなくなります。

最初のうちはODすれば気持ち良くなります、でも暫くすると"逆にODしないと体調が悪くなる"ようになります、僕はなりました。

 

たかだか風邪薬に肉体も精神も支配されるわけですね。

これでもう依存症の廃人が出来上がり。

転落人生ここに極まれり。

 

6/13 近況

数ヶ月前に体調を崩して以来引きこもり続けている(正確にはたまにゲーセン通いもするが)。これはこれで理想的な隠遁生活と言えなくもない、金さえあれば。

そう、金。本当に奨学金打ち切られて仕送り無しバイト無しじゃ切羽詰まりつつある。

だったら働けって結論に至るんだが、まあ今の毎日精神薬をODして現実逃避してるような精神状態では厳しいでしょうね、言い訳がましいけど。

まあ本当に困ったら自殺すればいい、今時自殺や自殺未遂なんて珍しくもなんともない。楽な自殺方法なんぞネットで簡単に調べられ、道具も通販ですぐに揃う。死は想像以上に身近にあるものだ。

 

IIDX SINOBUZ 九段合格

新卒時代に軽く3桁は下らないお祈りメールを頂き、無い内定のまま大学を卒業するべきか悩んだ末に就職浪人を選んだわけですが、結局留年している分条件は一層不利になるわけで…遂に就活3年目に突入した次第です。

と言っても鬱病で(診断書を貰えるレベルの)ここ数ヶ月は面接すら受けていなければ研究職の道に進む覚悟も無いのでニート同然みたいなもんなんだが…

 

 

で、そんな精神状態で何をするのかと言うと、beatmania IIDX(通称弐寺)。単純に音ゲーとして楽しいのと現実逃避が合わさってたいへん都合がいいわけですね。

 

前作copulaの終盤くらいに始めて当時はたまに触るくらいだったんですが、最近は特に嫌な事が多くてゲーセンに足繁く通うようになり大量の時間と金を溶かしています。

その成果と言うか代償と言うか…

 

f:id:fukoblog:20170519143035j:image

 

まぐれ抜け感が否めないものの、ひとまず九段に合格しました。

現実逃避に遊ぶなら赤段位たる九段も一つの区切りとして丁度いいところかなと思います。これで音ゲー卒業ってわけじゃないんですが。ただ九段から十段が途方もなく遠いわけで…。具体的に言えば八段は☆11がある程度出来れば、九段も同じように☆11のクリアランプを増やしていけば通用するのに対し、十段以降は☆12の高密度譜面と戦えるようにならなければいけないってところに絶望感を覚えるわけです。他にすることも(というか気力が)ないので結局ゲーセン通いを続けるんでしょうけども

 

就活が生んだ薬物中毒者、そしてその末路

就活3年目。

所謂、就職浪人(留年)をしているので立場上は大学6年生ということになった。実質的には無職と何が違うのか寡聞にして知らないが

 

今考えれば、就活も初めは社会に出ることへの希望とモチベーションを持って臨んでいた気がする。不採用の烙印を押される度に目標も志も矜持も失い、自殺願望ばかり募るようになってしまったが。そして志望を落としても尚、内定の一つも勝ち取れない欠陥製品であることを嫌でも認識させられた

 

いつどこで知ったのかはもう記憶にないが…思い出したように、藁にも縋る思いで、この時期からデパスに手を出した

デパス。簡単に言えば非常に強力な精神安定剤、とりわけ不安を取り除く効果が覿面だ。そして何より入手が容易だった(今は法律が改正され若干入手困難になったが)

 

デパスは不安を取り除く。だがそれはあくまで一時凌ぎ、薬効が切れれば不安はまた襲ってくる。ならばどうするか、それを飲み続けるしかない。そしてタチの悪いことに、酒や煙草の中毒性などとは比べ物にならないほどデパスの依存性は強力で耐性も非常に付きやすい

 

気がつけば毎日飲むようになっており、使用量もいつの間にか通常の5〜10倍まで膨れ上がっていた。オーバードーズが日常茶飯事だ

だが自覚していてもこの地獄からは抜け出せない、それくらい飲まないとまたどうしようもない不安と孤独と恐怖に飲み込まれるから

これでは本物の麻薬や大麻覚醒剤のジャンキーと何が違うのやら

薬物が(現行法に於いて)合法か非合法かは本質ではない

 

最近は日に日に死を考える時間が増え、同時に現実味と真剣さも増している。自殺の道具も枕元に置いてある。また気分転換に外の景色を眺めても、ここなら自殺出来るだろうか?という類の考えしか頭に浮かばない

 

こんな具合に精神が荒みきった今ではデパスに限らず様々な薬物をODしている。そして大抵の薬は意識や記憶が曖昧になる。最近はもはや毎日ODすることも珍しくない

1日の大半は曖昧な意識下で夢現に過ごし、シラフ・本来の人格で生きている時間の方が短い

例えば、調子の悪い時に読書の内容が頭に入ってこないことがある。今では常にその調子で小説1ページ読むのに1時間かかることも珍しくない。薬物に知性でも殺されたのだろうか

 

(何をもって本来の人格・本当の自分を指すのかは興味深い話題だが、話が逸れるので機会があれば後に述べよう)

 

死とは何か。古臭いカビの生えた議論だが俺は「意志や人格を失った時、人は死ぬ」と考えている。

ODによって思考力を鈍らせ、生きた屍のように本来の人格を忘れ去る。これもまた(精神的な)自殺の一種なのかも知れない

もっとも俺が真に望むのは文字通りの肉体的な自殺なのだが…それを実行するには勇気と仲間が足りない

重度のコミュ障が辿る末路

緘黙症(平たく言うと重度のコミュ障)の疑いがあるので簡単に自分を振り返った

 

・自覚している症状

(1)何を話せばいいのか分からない

(2)発声そのものが苦痛

それぞれ詳しく掘り下げて行こう

まず(1)について。

よくコミュ障相手には「思いついた言葉をそのまま話せばいい」という旨のアドバイスがされがちだが、俺の場合はそもそも話しかけられても頭が真っ白になり何も発すべき言葉が出てこないのだ。故に思いついたことをそのまま話せ、なんて助言は(そもそも不可能なのだから)見当違いも甚だしい。

「経験を重ねればいずれは慣れるだろう」という言葉が返って来そうだが…20年以上自分なりに人と接する努力を積んだ上でこの惨状では慣れなんてとても期待できたものじゃない

(2)について

発声そのものが苦手、自分の声がどうしようもなく気持ち悪く吐き気を誘いこの上なく醜い。

実際発声する機会が少なければ上手く声を出せないのは仕方ないだろうが…それ以上に問題なのは過去のトラウマの方だ。

俺は小学校から高校卒業まで10年以上、物理的・精神的暴力によってイジメられ続けていたのだが、その中の一つに徹底して声の気持ち悪さを嘲笑うというものがあった。例えば授業中俺が何か発言すれば「気持ち悪いんだから口を開くな」と言った具合だ。

こんな地獄に10年以上身を置けば発声に対するトラウマを植え付けられるもの当然だ。無論心療内科やカウンセラーに相談したが何一つ問題は解決しなかった。

 

 

・結論

どうにもならん。潔く自殺した方がまだ幸せだろ

【自殺】首吊り編 その1

縄さえあれば場所も時間も選ばずいつでも死ねる

苦痛も少なく実行すれば15分程度で死に至る

縄自体も今や通販で気軽に購入出来る、良い時代になったものだ

今まで気付かなかったことを心底悔やむ程のなんと魅力的な話だろうか

 

永遠の眠りに就けば全てのしがらみから解放される

例を挙げれば人間関係、無職・無内定、経済的事情、精神病、発達障害、社会不適合

重度の鬱病を抱え、暗澹たる日々を無為に送り続ける精神的苦痛は筆舌に尽くし難い

ならば自殺を以て全てを忘れ楽になる、決して悪い選択肢じゃない

努力し生き続ければいつか幸せに、或いは人並みになれる、なんて幻想はとうの昔に冷めたのだ

 

 

「生まれてきてすいません」

構想:無職カフェ

無職、フリーター、無い内定、対人恐怖症、発達障害、メンヘラ…

要は社会に適合出来ない人間

 

そういう人たちの居場所や受け皿があればどれだけ救われることか、と日々思っている

極端な例だが、あのオウム真理教も「社会に居場所の無い人間の受け皿」という意味では決して悪くない組織だったと思っている

 

社会に馴染めず居場所を得られなかった人間の末路は悲惨なものだ

それゆえ傷の舐め合いだと言われようが、社会不適合者同士が身を寄せ合う場所は必要なのではないだろうか