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物語の終わり

就活失敗、内定0社、既卒無職、発達障害、メンヘラ

IIDX SINOBUZ 九段合格

新卒時代に軽く3桁は下らないお祈りメールを頂き、無い内定のまま大学を卒業するべきか悩んだ末に就職浪人を選んだわけですが、結局留年している分条件は一層不利になるわけで…遂に就活3年目に突入した次第です。

と言っても鬱病で(診断書を貰えるレベルの)ここ数ヶ月は面接すら受けていなければ研究職の道に進む覚悟も無いのでニート同然みたいなもんなんだが…

 

 

で、そんな精神状態で何をするのかと言うと、beatmania IIDX(通称弐寺)。単純に音ゲーとして楽しいのと現実逃避が合わさってたいへん都合がいいわけですね。

 

前作copulaの終盤くらいに始めて当時はたまに触るくらいだったんですが、最近は特に嫌な事が多くてゲーセンに足繁く通うようになり大量の時間と金を溶かしています。

その成果と言うか代償と言うか…

 

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まぐれ抜け感が否めないものの、ひとまず九段に合格しました。

現実逃避に遊ぶなら赤段位たる九段も一つの区切りとして丁度いいところかなと思います。これで音ゲー卒業ってわけじゃないんですが。ただ九段から十段が途方もなく遠いわけで…。具体的に言えば八段は☆11がある程度出来れば、九段も同じように☆11のクリアランプを増やしていけば通用するのに対し、十段以降は☆12の高密度譜面と戦えるようにならなければいけないってところに絶望感を覚えるわけです。他にすることも(というか気力が)ないので結局ゲーセン通いを続けるんでしょうけども

 

就活が生んだ薬物中毒者、そしてその末路

就活3年目。

所謂、就職浪人(留年)をしているので立場上は大学6年生ということになった。実質的には無職と何が違うのか寡聞にして知らないが

 

今考えれば、就活も初めは社会に出ることへの希望とモチベーションを持って臨んでいた気がする。不採用の烙印を押される度に目標も志も矜持も失い、自殺願望ばかり募るようになってしまったが。そして志望を落としても尚、内定の一つも勝ち取れない欠陥製品であることを嫌でも認識させられた

 

いつどこで知ったのかはもう記憶にないが…思い出したように、藁にも縋る思いで、この時期からデパスに手を出した

デパス。簡単に言えば非常に強力な精神安定剤、とりわけ不安を取り除く効果が覿面だ。そして何より入手が容易だった(今は法律が改正され若干入手困難になったが)

 

デパスは不安を取り除く。だがそれはあくまで一時凌ぎ、薬効が切れれば不安はまた襲ってくる。ならばどうするか、それを飲み続けるしかない。そしてタチの悪いことに、酒や煙草の中毒性などとは比べ物にならないほどデパスの依存性は強力で耐性も非常に付きやすい

 

気がつけば毎日飲むようになっており、使用量もいつの間にか通常の5〜10倍まで膨れ上がっていた。オーバードーズが日常茶飯事だ

だが自覚していてもこの地獄からは抜け出せない、それくらい飲まないとまたどうしようもない不安と孤独と恐怖に飲み込まれるから

これでは本物の麻薬や大麻覚醒剤のジャンキーと何が違うのやら

薬物が(現行法に於いて)合法か非合法かは本質ではない

 

最近は日に日に死を考える時間が増え、同時に現実味と真剣さも増している。自殺の道具も枕元に置いてある。また気分転換に外の景色を眺めても、ここなら自殺出来るだろうか?という類の考えしか頭に浮かばない

 

こんな具合に精神が荒みきった今ではデパスに限らず様々な薬物をODしている。そして大抵の薬は意識や記憶が曖昧になる。最近はもはや毎日ODすることも珍しくない

1日の大半は曖昧な意識下で夢現に過ごし、シラフ・本来の人格で生きている時間の方が短い

例えば、調子の悪い時に読書の内容が頭に入ってこないことがある。今では常にその調子で小説1ページ読むのに1時間かかることも珍しくない。薬物に知性でも殺されたのだろうか

 

(何をもって本来の人格・本当の自分を指すのかは興味深い話題だが、話が逸れるので機会があれば後に述べよう)

 

死とは何か。古臭いカビの生えた議論だが俺は「意志や人格を失った時、人は死ぬ」と考えている。

ODによって思考力を鈍らせ、生きた屍のように本来の人格を忘れ去る。これもまた(精神的な)自殺の一種なのかも知れない

もっとも俺が真に望むのは文字通りの肉体的な自殺なのだが…それを実行するには勇気と仲間が足りない

重度のコミュ障が辿る末路

緘黙症(平たく言うと重度のコミュ障)の疑いがあるので簡単に自分を振り返った

 

・自覚している症状

(1)何を話せばいいのか分からない

(2)発声そのものが苦痛

それぞれ詳しく掘り下げて行こう

まず(1)について。

よくコミュ障相手には「思いついた言葉をそのまま話せばいい」という旨のアドバイスがされがちだが、俺の場合はそもそも話しかけられても頭が真っ白になり何も発すべき言葉が出てこないのだ。故に思いついたことをそのまま話せ、なんて助言は(そもそも不可能なのだから)見当違いも甚だしい。

「経験を重ねればいずれは慣れるだろう」という言葉が返って来そうだが…20年以上自分なりに人と接する努力を積んだ上でこの惨状では慣れなんてとても期待できたものじゃない

(2)について

発声そのものが苦手、自分の声がどうしようもなく気持ち悪く吐き気を誘いこの上なく醜い。

実際発声する機会が少なければ上手く声を出せないのは仕方ないだろうが…それ以上に問題なのは過去のトラウマの方だ。

俺は小学校から高校卒業まで10年以上、物理的・精神的暴力によってイジメられ続けていたのだが、その中の一つに徹底して声の気持ち悪さを嘲笑うというものがあった。例えば授業中俺が何か発言すれば「気持ち悪いんだから口を開くな」と言った具合だ。

こんな地獄に10年以上身を置けば発声に対するトラウマを植え付けられるもの当然だ。無論心療内科やカウンセラーに相談したが何一つ問題は解決しなかった。

 

 

・結論

どうにもならん。潔く自殺した方がまだ幸せだろ

【自殺】首吊り編 その1

縄さえあれば場所も時間も選ばずいつでも死ねる

苦痛も少なく実行すれば15分程度で死に至る

縄自体も今や通販で気軽に購入出来る、良い時代になったものだ

今まで気付かなかったことを心底悔やむ程のなんと魅力的な話だろうか

 

永遠の眠りに就けば全てのしがらみから解放される

例を挙げれば人間関係、無職・無内定、経済的事情、精神病、発達障害、社会不適合

重度の鬱病を抱え、暗澹たる日々を無為に送り続ける精神的苦痛は筆舌に尽くし難い

ならば自殺を以て全てを忘れ楽になる、決して悪い選択肢じゃない

努力し生き続ければいつか幸せに、或いは人並みになれる、なんて幻想はとうの昔に冷めたのだ

 

 

「生まれてきてすいません」

構想:無職カフェ

無職、フリーター、無い内定、対人恐怖症、発達障害、メンヘラ…

要は社会に適合出来ない人間

 

そういう人たちの居場所や受け皿があればどれだけ救われることか、と日々思っている

極端な例だが、あのオウム真理教も「社会に居場所の無い人間の受け皿」という意味では決して悪くない組織だったと思っている

 

社会に馴染めず居場所を得られなかった人間の末路は悲惨なものだ

それゆえ傷の舐め合いだと言われようが、社会不適合者同士が身を寄せ合う場所は必要なのではないだろうか

首吊りについて

メジャーな自殺方法の一つに首吊りが挙げられる

縄以外特別な道具を必要とせず、部屋の中でも実行でき、比較的苦痛が少ないといった手軽さが魅力だろう

とは言え未遂に終わってしまう失敗例も多く報告されている

 

自殺とは、煩わしい現実に辟易した人間が逃避する手段の一つだ。しかしその自殺にさえ訓練や勉強が必要とは…なんとも皮肉な話である

 

 

以下コピペ

・トブ状態を疑似体験 その1
首吊りで意識トベない人は、トブ状態を疑似体験してみるといいかも。
やり方は、
1,まずしゃがんで深呼吸を10回する。これだけで頭がボーっとしてくるはず。
2,そしていきなり立ち上がって、頭部を後ろに倒して天井を見上げて、柔らかいタオルで首を絞める。
3,そうすると、たいていはまともに立っていられなくなります。その感覚は、首吊りで意識を失う導入部に似てると思う。上手くいかない人は深呼吸の数を20に増やしてやってみよう。

・トブ状態を疑似体験 その2

逝く寸前を疑似体験(ナンチャッテ)したい香具師は、まずハイパーベンチレーション(深く早く呼吸する)を1分くらいやって血液中を過酸素状態にしてから、足のつくところで首吊ってみそ。ほんの数十秒かで息が苦しくなる前に、意識が薄らいで手足がガクガクになる感覚を味わえる。ただし、本当に逝ってしまっても責任は持ちません。

・意識を飛びやすくする前準備は3つ。
1,ハイパーベンチレーション、何度も深呼吸を繰り返して、二酸化炭素血中濃度を低下させる。(過換気性失神)
2,しばらくしゃがんだ状態から急に立ち上がって、立ちくらみ、起立性低血圧を起こす。(起立性失神)
3,急に有酸素運動(高速スクワット20回など)を行って、血圧を上げ、酸素需要量を増やす。(労作性失神)

この三つのうちをどれかやってから、頚動脈洞を圧迫したら、簡単に失神する。
(頚動脈洞性失神)

・注意点
トブ疑似体験をやって倒れ、ケガをしてしまったという報告がよくあります。トブ疑似体験をするときは、立ち上がって、壁に背中から寄りかかるような姿勢でやるとよいでしょう。また、つま先立ちの高さで疑似体験2すると、本当に冗談じゃなく、びっくりするぐらい速攻で失神しそうになります。つま先立ちの高さで吊る場合は、すぐ駆け上がれるように、近くに踏み台を置いておくといいでしょう。油断していると、本当に死にます。あと、未遂や実験,予行演習などの直後に吊ると、血圧などの関係で苦しいだけなので、しばらく休憩時間を置いてから吊り直したほうがいいでしょう。

トブ疑似体験をやりすぎると脳に障害が出るという指摘もありますが、クラッとくる程度でやめたら後遺症はありません。このスレでは100回以上やった人は大勢いますが、支障なく日常生活を送っています。トブ疑似体験は、とても健全なトリップ方法ですので、どんどん数をこなしてみてください。

友達いない歴=年齢

ぼっち。友達がいない様を指すスラング。もはや陳腐化した単語かもしれない

 

よく使われる例が大学ぼっち。高校までは普通に友人を作れていたが、大学へ進学し環境の変化に適応出来ず結果ぼっちになる、と言ったところか。これは現実にもTwitterにもそれなりの数がいるのではないだろうか

 

かく言う私もぼっちの一人である

タチの悪いことに凡百の大学ぼっちとは一線を画するエリートぼっちだ。大学はおろか高校、中学、果ては幼稚園以前まで遡っても、生涯を通してただの一人も友人を作れたためしがない

 

 意図的に人を避けていたのでなく、作りたくても作れないタイプ。声を掛けられる度に怯え、会話を振られると頭が真っ白になり言葉を紡ぎ出せない。生まれつきの障害だろうか

 

友達がいない人間なんて本当にいるの?と言われそうだが、実際ここに実在するのだから仕方ない。そこにある事実は受け入れるしかない

 

友人を作ろうと・人脈を広げようと努力したことは勿論ある。しかし結果が実ることは一度もなかった。誰でも出来て当たり前のことさえできないのだ、なるほど普通に就職をして社会に出ることさえ叶わないわけである

 

中学高校では友達がいなければイジメの標的にされやすいが、大学以降はそれもなくなり静かな時間を過ごせるようになった。それゆえ今では孤独でいることに苦痛を覚えることはない

何故ならそれがいつも通りの日常なのだから

 

しかしそれでも、いくら慣れようとも一人は寂しい。それこそ自殺を考える程度には。これは誤魔化しようのない事実だ。強がろうとしていた時期もあったが、結局人は不安に打ち勝つことは出来ない。

 

一人は寂しい、しかし友達を作る能力がない。そんな欠陥製品に生きる道はあるのだろうか